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経営の原理原則その2 「会社は誰のものか」

どんなものにも「原理原則」というものがあります。
物事を考える上で、その事実(Fact)としての原理(本質・真理)を知っておくことは、とても有用かつ有効です。
このコーナーでは、経営についての原理原則を書いています。

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会社は株主のものである

会社は誰のものかという議論があります。

よくある答えは、「株主」「経営者」「社員」「お客様」「地域社会」などとまちまちですが、このように様々な答えが出てくる背景には「もの」という言葉の解釈の違いがあります。
通常「のもの」という場合、それは「所有」を表わします。
その視点で考えれば、答えは明白であり「会社は株主のもの」です。
株主は、経済的なリスクを冒して会社を設立あるいは買収するのですから、出資と引き替えに得た株式の割合に応じて「所有」することになるわけです。

ですから、資本主義の理解が確立されているアメリカでは、株主に対して送られる通知書類には「Your Company」と記載するのが当たり前になっています。
日本での、株主に対して「当社」や「我社」いう記載をすることはそもそもおかしな話なのです。

※ 但し、「会社は株主のもの」だとは言い切れない部分もあり、それはまた後述します。

会社は誰の”ための”ものか

しかしながら、会社は誰の「”ため”のもの」かと言った場合は、話が違ってきます。
冒頭に挙げた答えのすべてが当てはまると思います。
それ以外にも「会社の取引先」や「融資している金融機関」なども含まれてきます。

私は、会社という存在は、そこに関わる人や組織を「幸せ」にしていくために存在していると固く信じています。
昔からよく「顧客第一主義」が標榜され、外資ファンドが活躍した時期には「株主第一主義」、最近では「社員第一主義」を掲げる会社も増えてきていますが、私は誰が一番かということでは無く、会社が関係者の「幸せ」を実現するため存在であるのなら、会社との関わりが強い人からその「幸せ」を享受できるべきだとそう思います。
だから、あらためて会社とは「そこに関わるすべての人たちを幸せにする」ための存在だと思うわけです。

オーナーであっても自由にはならない

さて、先ほど「会社は株主のもの」だとは言い切れない部分もあると書いたのだが、それはこういうことです。

通常、自分が所有しているものであれば、それをどう使おうと自由です。
自分が所有している車をどんなに乱暴に扱おうとも、ぶつけてへこませようとも自由です。また、自宅の冷蔵庫に入っているアイスクリームをどれだけ食べようと自由です。

しかし会社となるとそうは行かないところがいろいろとあります。
たとえばパンを作っている会社を所有している株主が、できあがったパンを、腹が減ったからと勝手に食べることは許されません。
どうしても食べたければ、(自分が所有しているはずの)会社から買うという手続きをしなければならず、そうしなければ法的には「横領」ということになってしまいます。
当然、接待と称しての会社の利益にならない個人的な飲み食いも同様で、税務的にみれば脱税と見なされます。
このあたりが会社という存在の面白いところですね。

会社とは生き物である

会社(法人)とは、法的な「人格」を与えられた存在です。
確かに、人間が人間を「所有」することは出来ないし、たとえば犬や猫のような動物であっても、自分のペットだからと虐待したりすることは許されません。
そう考えると、会社(法人)とは、人間同様、「命」を持った存在であると言うことも出来ると思うわけで、あらためて尊い存在なのだなぁ、と思う次第です。

この記事を書いた人

池谷 義紀
池谷 義紀株式会社アーティス 代表取締役
1998年アーティスを設立し、インターネット通信販売をはじめとした数々のウェブサイト構築を手がける。ユーザビリティという言葉自体が耳慣れなかった頃よりその可能性に着目。理論や研究だけでなく、実際の構築と運営という現場で積み重ねてきた実績がクライアントの信頼を集めている。
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