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仕事と働き方についての考え9 「寿命」

この記事は、アーティスの代表者である池谷が自身の仕事と働き方についての考えを、社員に向けて発表したものです。
もともと社内文書であるため、広く外に向けて発信する文書と比べると書き方や内容に違和感を覚える箇所もあると思いますが、あえてそのままの状態で掲載します。
また、2014年の9月に書かれた文書であるため、当時の就活状況等、現在とは若干ことなる部分もあると思いますがご了承ください。

人間の寿命が長い理由

なぜ、仕事と働き方の話に、寿命というテーマが出てくるのか不思議に思われるでしょうが、じつは人間の寿命の長さは、働くことと密接な関係にあるのです。

以前、生物学の講演会で聞いた話なのですが、生物学の観点から見たときに人間が他の生き物と大きく違う点の一つとして、生殖機能(子をつくる能力)が無くなった後も長く生きるところがあるのだそうです。
人間以外のほとんど生き物(有性生物)は、生殖機能が無くなった時点で死んでしまいます。生殖能力をなくした後も、長く生きる生物は人間以外にはわずかの種しかないそうです。

ではなぜ人間は、生殖機能が無くなったのちも長い年数を生きるのでしょうか。
そこに人間ならではの理由があると思います。

生殖能力をなくした生き物の多くが寿命を迎えてしまう理由として上げられていることのひとつは、生き物の最も大切な役目は、祖先から伝えられた遺伝子の永続、つまりいのちをつなぎ、子孫を残すことであるから、それが無くなったのちも生きていることは、無用どころか有害になってしまうからなのだそうです。

つまり、生殖能力をなくした生き物のその後は、自分だけのために生きる、つまり食べるだけになるため、これから子どもを産み養育していく、生殖能力を有した次世代にとっては、無益な食糧獲得競争を引き起こすやっかいな存在でしかないからです。
いや人間であっても世界の各地にいわゆる「姥捨て山」や「口減らし」といった伝説が残っていることを考えれば、人間だけは絶対に違うとは言い切れないのかもしれませんが。

死んで土にかえることにより、それが養分となり新しい種の成長を助ける、
それが本来の自然の摂理なのでしょう。

もう一つ、人間ならではの特徴に、生まれてから大人になり独り立ちできるまでの時間が極めて長いところがあります。
人間は生まれてから歩けるようになるまで、早くても何か月もかかり、成人になるまでは20年の時間を要しますが、馬は生まれてから1時間ほどで立ち上がります。それこそ虫などであれば、卵や蛹からかえった時点からすでに独り立ちです。
20歳までとは言いませんが、人間は最低でも義務教育終了ぐらいの年齢までの十何年も、親や社会の庇護が必要な生き物です。

人間は、前述の「姥捨て山」の話の中にも、運よく捨てられることを免れた老人の知恵によって、その後、その地域が難題から救われ、姥捨てのしきたりが廃止されたといった話があるように救いがあります。

また人間は、十数年もの長い時間を必要とする養育を行う。たとえ自分の子どもでなくても、直接、あるいは間接的に次の世代の養育や教育に携わる。そして、仕事やさまざまな働きによって、世の中がよくなり進歩していくように自分の命を使うことが出来る。さらには、仕事ができない年齢になったとしても、衣食住に加え医療の顧客として死ぬまで(葬儀を考えれば死んでからも)誰かの仕事を生み出す。

人が長生きなのはそのような理由にあるのかもしれません。

いのちの使い方

大げさなタイトルだと思われたかもしれませんが、二十歳を超えて大人になったなら一度は考えてみるテーマではないかと思います。

確かに人の平均寿命は確実に上がってきており、昔とは比べ物にならないくらい長くなりました。しかしそれでも不老不死になったわけではありません。
ある程度の年齢を超えると、自分のさまざまな能力が衰えていくのを実感し、そしていつかはこの世を去る時が来ます。
しかもその日がいつなのかは、多くの場合わかりません。
何十年後のある日かもしれませんし、ひょっとしたら来年、あるいは明日かもしれません。

いつなのかはわからないけれど、その日、つまり自分のいのちが終わる日が必ず来ることだけは分かっています。

では、いのちとはいったい何なのでしょうか。
生きて活動することができる力のことでしょうか。
いくつかの考え方があると思いますが、私は「いのち」とは「時間」のことだと思います。
つまり、「その人が持っている時間」が、「その人のいのち」だと思うのです。

生まれてから死ぬまでの時間のことを「寿命」と言いますが、まさに「時間」とは「いのち」のことなのです。

だから「時間」をどう使うか、ということは、「いのち」をどう使うか、ということであり、「どのように生きるのか」ということは「どのように時間を使うか」と同義です。

自分の持てる力、能力を自分だけのために使うのか、それとも他の誰かのために使うのか、それによって人生は変わってくると思います。
人のために使い、この世の中をよくした。誰かに喜んでもらった。
それこそが自分が生きた意味であり、価値であると思うのです。

前述してきたとおり、仕事とは自分以外の人たちに影響を与えることですから、自分が死んだのちも、自分の仕事が残り、誰かの人生に良い影響を与えられ続けるのだとしたら、ある意味、自分が生き続けることになるのではないかと思います。

だから、いつかは分からないが、その日までの時間をどう使うか。
それがその人の生き方ということになるわけです。

眠っている人よ、眠りとは何か。眠りとは死と似ている。死したのちも永遠となる仕事をすべきではないか。レオナルド・ダヴィンチ

この記事を書いた人

池谷 義紀
池谷 義紀株式会社アーティス 代表取締役
1998年アーティスを設立し、インターネット通信販売をはじめとした数々のウェブサイト構築を手がける。ユーザビリティという言葉自体が耳慣れなかった頃よりその可能性に着目。理論や研究だけでなく、実際の構築と運営という現場で積み重ねてきた実績がクライアントの信頼を集めている。
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